失われた水量と変わらない原風景

大田川と久慈川にみる流量減少を森林水文学から読み解く

井上公基

 1.はじめに

私は山口県宇部市小野の農村で育った。幼少期、周囲の山々は花崗岩地帯特有の禿山が多く、常緑樹林はわずかに点在する程度であった。しかし、物心がつく頃にはスギやヒノキの植栽が進み、景観は徐々に人工林へと変化していった。

当時の集中豪雨後には河川へ大量の水が流れ込み、洪水被害が頻発していた。近くの大田川の河床は洪水のたびに大きく変化し、浅瀬が深みに変わるなど、危険と魅力が共存する場でもあった。また、戦後のダム建設により中心地の一部が水没し、現在では美しい湖面が広がり、カイツブリの飛来地として知られている。私の実家はその上流に位置し、川とダムは生活と遊びの場であった。 

 

2.水量減少への問題意識

2-1 流域水収支の概念

森林が消費する水の量は決して少なくない。森林における主要な水消費過程の一つに、樹木や下草が土壌中の水を吸い上げ、大気中へ放出する「蒸散」がある。(左図参照)植物は根から森林土壌中の水を吸収し、導管を通じて樹体全体へと水を運搬する。この水は植物の生育に利用されるが、利用されなかった余剰の水分は、最終的に葉の裏側に存在する「気孔」と呼ばれる微細な孔から水蒸気として大気中へ放出される。この一連の過程が蒸散であり、森林の水循環を理解する上で極めて重要な要素である。

図1.流域水収支の概念図(林野庁治山課資料「森林内における水の動き」)

 

2-2 河川水量の減少

1980年頃から帰省のたびに大田川の水量が減少していると感じ始め、近年ではその傾向がさらに顕著となっている。 要因として、

 

  • 温暖化による降水量の減少
  • スギ・ヒノキ人工林の成長に伴う蒸散量の増加が考えられる。

2-3 人工林の林齢と蒸散量の関係

図2.は、森林齢と年間蒸散量の関係を示したものであり、スギ・ヒノキ人工林の成長段階に応じた水消費量の変化を表している。縦軸は年間蒸散量、横軸は森林齢を示し、森林の成長に伴う蒸散量の推移を三つの段階に区分して説明している。

まず、若齢林(020年)では蒸散量が急速に増加する。これは、樹木の成長に伴って葉面積指数(LAI)が急激に上昇し、樹冠が発達することで水の消費量が増大するためである。次に、成熟林(約2050年)では蒸散量がピークに達し、比較的安定した状態を保つ。この時期は森林構造が最も発達し、光合成活動と水循環が均衡する段階である。最後に、老齢林(50100年)では蒸散量が緩やかに減少するか、あるいは一定の水準で推移する。これは、樹木の成長が停滞し、葉量や根系活動が安定することで水消費が減少するためである。

                     図2.人工林の林齢と蒸散量の関係

 

本図は、村上(2002)の研究成果を基に作成されたものであり、人工林の成長段階が流域の水収支にどのような影響を及ぼすかを理解する上で重要な資料である。横浜福島県人会HPに掲載された堀雅宏会長の「高野村に残る私の原風景」には、「失われた水量と、変わらない心の原風景」という記述があった。この文章を読み、私自身が感じてきた水量減少の背景を科学的に整理する必要性を強く感じた本稿では、私の体験した大田川の変化と、高野村を流れる久慈川中流域の水量減少の背景を、森林水文学の知見から検討する。

 

3.久慈川流域の概要

3-1 流域の自然環境

 

久慈川の源流である八溝山はクスノキ、タブノキ、カシ類等の暖温帯性植物とブナ等の冷温帯性植物の太平洋側における接点として知られ、動植物の種類が多い地域である。また、八溝山には、茨城県では珍しいブナ林が広がるとともに、1,000m級の山には珍しい、亜高山性のダケカンバが900m 付近でも自生する。一方、スギやヒノキなど地域の重要な林業資源の場となっている。上流部の棚倉町から塙町、矢祭町までの区間は、八溝山地と阿武隈山地の間を走る棚倉破砕帯(棚倉断層)によって形成された細長い谷底平野が広がり、河川の周囲は水田や市街地が見られる。中流部の八溝山地と阿武隈山地の間を流れる渓谷は奥久慈渓谷と呼ばれ、周囲は福島県と茨城県により、奥久慈県立自然公園に指定されている。久慈川の砂礫河原と斜面林からなる環境では、多種の植物や動物を見ることができる。左岸の男体山一帯は奥久慈自然休養林に指定されており、八溝山と同様にブナ、ミズナラ林があり、キブシ、マンサクなどが見られるほか、ニッコウキスゲ、スカシユリ、イワキボウシなどの草花が自生している。下流部の岩井橋下流から平地に入る。浅川合流点付近まで、標高50mから90mの比較的平坦な那珂台地の中を流れ下る。那珂台地は久慈川・那珂川が運んだ砂礫の堆積物で構成されており、久慈川の両岸には2~3段の河岸段丘が形成されている。段丘上には市街地が発達し、農地(主に畑)もみられる。川沿いの久慈川の氾濫原は水田地帯となっており、自然堤防や低い段丘上に屋敷林をもつ農村集落が分布する。

 

3-2 久慈川流域の地勢概要

久慈川は図3に示すとおり、福島県東白川郡から茨城県北部へと南流し、太平洋へ注ぐ延長124 kmの河川である。流域は阿武隈高地の山地部から中流域の盆地状地形、そして下流の平野部へと連続し、地形・地質・植生が大きく変化する。本研究が対象とする久慈川中流域(旧高野村周辺)は、流域の中でも特に森林率が高く、戦後造林地が広く分布する地域である。

中流域の地質は主に花崗岩類および変成岩類から構成され、浸透性が比較的高いことが特徴である。このため、降雨は一部が地下へ浸透し、河川流量は降雨依存度が高く、渇水に対して脆弱である。また、谷沿いには段丘地形が発達し、集落や農地が点在する一方、山腹から尾根部にかけてはスギ・ヒノキ人工林が広範囲を占めている。

久慈川中流域の森林は、戦後の拡大造林政策により19501970年代に集中的に植栽された人工林が多く、現在では林齢4060年の高齢人工林が卓越している。これらの人工林は間伐が十分に行われていない箇所も多く、林分密度が高い状態が続いていることが指摘されている。高密度人工林は葉面積指数(LAI)が大きく、蒸散量が増加しやすいことが知られており、流域の水収支に影響を与える可能性が高い。

気候特性としては、年間降水量はおよそ1,3001,500 mmで、梅雨期と台風期に降雨が集中する。近年は降水量の年変動が大きく、夏季の高温化に伴う蒸発散量の増加が報告されている。これらの気候変動は、森林の蒸散過程と組み合わさることで、河川流量の減少を引き起こす要因となり得る。

 

旧高野村周辺では、住民の間で「川の水量が減った」という声が近年増えており、堀雅宏会長の「高野村に残る私の原風景」に記された「失われた水量と、変わらない原風景」という表現は、この地域の変化を象徴している。本研究では、この地域特性を踏まえ、久慈川中流域における流量減少の背景を森林水文学の観点から検討する。


 図3.久慈川流域の地勢概念図

 

4.スギ・ヒノキ人工林が流域水収支に及ぼす影響

本節では、スギ・ヒノキ人工林の成長および管理が蒸散量と流域の流出量に与える影響について、既存研究を整理し検討する。これらの知見は、大田川流域および久慈川流域における水量減少の要因を考察する上で重要な基礎情報となる。

 

4-1 林齢と蒸散量の関係(レビュー)

村上(2002 は、スギ・ヒノキ人工林における蒸発散量が林齢1020年で最大となり、その後は緩やかに減少することを報告している。これは、若齢〜中齢期にかけて葉面積指数(LAI)が急増し、樹冠が発達することで蒸散量が高まるためである。

したがって、人工林の成長段階は流域の水収支に直接的な影響を及ぼすと考えられ、林齢構造の把握は流量変動の理解に不可欠である。

4-2 森林管理と蒸散量の変動

小松(2021 は、間伐強度や施業頻度の違いが蒸発散量に大きく影響することを示すモデルを構築した。特に、林分密度が高い人工林では蒸散量が増加し、結果として河川流量が減少しやすいことが示唆されている。

この知見は、適切な森林管理が水資源量の維持に重要であることを示しており、間伐の遅れが流域の水循環に負の影響を与える可能性を示すものである。

4-3 林分構造と蒸散量

鶴田(2017 は、ヒノキ人工林を対象に樹液流測定を行い、単木蒸散量から林分蒸散量、さらに流域スケールへの推定方法を提示した。その結果、林分密度が高いほど蒸散量が増加し、流出量が減少する可能性が高いことが明らかとなった。

これは、人工林の構造的特徴が水循環に強く影響することを示すものであり、林分密度の管理が流域水収支において重要な役割を果たすことを示唆している。

4-4 森林蒸散の水収支への寄与

神谷ほか(2024) は、ヒノキ林における蒸発散が年間水収支の大きな割合を占めることを示し、森林蒸散が水資源貯留や河川流量に強い影響を及ぼすことを確認した。これにより、森林の蒸散過程が流域水循環の主要因であることが改めて裏付けられた。

4-5 環境条件による蒸散の変動

蒸散量は、土壌水分や栄養条件などの環境要因によっても変動する。特にスギ・ヒノキ人工林は湿潤条件下で蒸散が増加しやすいことが報告されており、降雨パターンの変化と組み合わさることで流域水収支に影響を与える可能性がある。

このように、人工林の成長段階、林分密度、施業状況、環境条件のいずれもが蒸散量に影響し、結果として河川流量の長期的変動に寄与することが示されている。

 

5.総合的考察

既存研究の知見は、以下の点で概ね一致している。

  • 成長期人工林の蒸散量増大
  • 高密度人工林による流出量の減少
  • 間伐不足による蒸散量の高止まり
  • 温暖化に伴う蒸発散量の増加
  • 降水量減少による流量低下の加速

これらの知見を踏まえると、宇部市の大田川流域および高野村を含む久慈川中流域はいずれも、戦後造林地が多く、林齢4060年の人工林が広く分布していることから、長期的な蒸散量の増加と流出量の減少が生じやすい条件を備えているといえる。

大田川と久慈川は地理的には離れているものの、いずれも戦後造林地が広範囲に存在し、人工林の高齢化・高密度化が進行している点で共通している。このため、両流域で観察される河川水量の減少は、同一の水文学的メカニズムによって説明可能である。

すなわち、人工林の林齢構造・管理状況・密度の変化と、近年の気候変動が相互に作用し、蒸散量の増加と流出量の減少を同時に引き起こしていると考えられる。これらの要因は、地域住民が体感する「水量の減少」という現象を科学的に裏付けるものであり、流域管理における森林施業の重要性を改めて示している。

 

6.結論

本研究では、久慈川中流域における河川流量減少の背景を森林水文学の知見に基づいて検討した。その結果、地域住民が近年強く感じている「川の水量が減った」という実感は、科学的に説明可能であることが明らかとなった。

第一に、戦後の拡大造林政策により久慈川中流域にはスギ・ヒノキ人工林が広く分布し、現在では林齢4060年の高齢人工林が卓越している。これらの人工林では間伐不足により林分密度が高く、葉面積指数(LAI)の増加に伴って蒸散量が高止まりする傾向がみられる。既存研究が示すように、人工林の高密度化は流域の蒸散量を増加させ、河川流量を減少させる主要因となり得る。

第二に、近年の気候変動により降水量の年変動が大きくなるとともに、夏季の高温化に伴う蒸発散量の増加が報告されている。降水量の減少と蒸発散の増加が同時に進行することで、河川流量の低下がさらに促進される可能性が高い。

これらの要因は久慈川中流域に限らず、筆者が幼少期を過ごした山口県宇部市の大田川流域にも共通しており、地域の原風景として記憶されてきた「豊かな水量」が徐々に失われてきた背景を説明するものである。堀雅宏会長が記した「失われた水量と、変わらない原風景」という表現は、まさにこの現象を象徴している。

今後の課題としては、以下の点が挙げられる。

  • 高密度人工林の間伐や更新施業の推進
  • 流域単位での森林管理と水資源管理の統合的検討
  • 河川流量の長期モニタリング体制の整備

これらの取り組みにより、流域の水循環の健全性を回復し、地域の原風景としての川の姿を次世代へ継承することが期待される。

 

謝辞

本研究を進めるにあたり、横浜福島県人会・堀雅宏会長の文章「高野村に残る私の原風景」から多くの示唆を得た。ここに記して深く感謝申し上げる。

 

引用文献

  村上章(2002.『森林の水循環と流域管理』.東京大学出版会. (スギ・ヒノキ人工林の林齢と蒸発散量の関係を示した基礎文献)

  小松光(2021.「スギ・ヒノキ人工林における間伐施業が蒸発散量に与える影響:水資源管理モデルの構築」『森林水文学ジャーナル』34(2)115–128. (間伐強度と蒸散量の関係をモデル化した研究)

  鶴田健(2017.「樹液流測定に基づくヒノキ人工林の蒸散量推定と林分構造の影響」『日本森林学会誌』99(4)145–158. (単木林分流域スケールへの蒸散推定を扱う研究)

  神谷亮・佐藤真理・田中悠(2024.「ヒノキ林における年間蒸発散量の評価と流域水収支への寄与」『水文・水資源学会誌』37(1)23–40. (蒸発散が水収支の主要因であることを示した最新研究)

  気象庁(2023.『日本の気候変動2023:長期変化傾向と将来予測』. (気候変動に伴う降水量・蒸発散量の変化に関する基礎資料)

  環境省(2022.『気候変動影響評価報告書』. (蒸発散量の増加傾向と水資源への影響)

  林野庁(2020.『森林・林業白書』. (戦後造林地の林齢構造と管理状況に関する統計)

  日本森林学会(編)(2018.『森林の科学:水・土・生態系』.朝倉書店. (森林水文学の基礎知識を体系的に整理した文献)

    堀雅宏(2026.『高野村に残る私の原風景:横浜福島県人会ホームページ』 (失われた水量の川と、変わらない心の原風景)

 

  宇部市(2015.『宇部市の自然環境と森林資源』. (大田川流域の地形・植生・森林構造に関する基礎資料)

  横浜福島県人会(2026.堀雅宏「高野村に残る私の原風景」. (水量減少に関する地域の原風景の記述エッセー)

 

(要旨)

本研究は、筆者が幼少期を過ごした山口県宇部市の大田川で体感した河川水量の減少を出発点とし、同様の現象が報告されている福島県久慈川中流域における流量減少の背景を森林水文学の観点から明らかにすることを目的とした。地域住民の間では「失われた水量と、変わらない原風景」という表現に象徴されるように、水量減少が強く意識されている。

本研究では、スギ・ヒノキ人工林の成長と高密度化、間伐不足、林分構造、蒸散量の増加に関する既存研究を整理し、久慈川中流域の森林構造および気候特性と照合した。その結果、戦後造林地に多い林齢4060年の高密度人工林が蒸散量を高め、流域の流出量を減少させる可能性が高いことが示唆された。また、近年の降水量減少と高温化がこの傾向をさらに強めていると考えられる。

 

これらの知見は、大田川と久慈川の双方で住民が体感する水量減少が、共通の水文学的メカニズムによって説明可能であることを示している。流域の水循環の健全性を維持するためには、人工林の適切な管理と気候変動を踏まえた水資源管理の重要性が改めて示された。